娘に逢いに行って来た。
- 2009.08.10 Monday
- 21:33
JUGEMテーマ:京都
久しぶりに娘に逢いに京都に行って来た。ついでに観光もしてみたっ!
1.平安神宮
由緒(平安神宮HPより)
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。
当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。
その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。
これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。
千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。
その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。
応天門
おみくじを引いてみた。
「吉」
ん〜中途半端w
どうせなら、「大吉」か「大凶」がよかったなw
2.銀閣寺
銀閣寺とは(銀閣寺HPより)
銀閣寺とは通称であり、正しくは東山慈照寺(トウザンジショウジ)といいます。室町幕府足利八代将軍義政公によって造営された山荘東山殿(ヒガシヤマデン)がそのルーツです。義政公の没後、臨済禅宗の寺院となり義政公の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。銀閣寺の名の由来は江戸時代、三代将軍義満公の造営による山荘北山殿の金閣寺(鹿苑寺(ロクオンジ))に対し、銀閣寺と称せられることとなりました。
義政公は9歳にして足利将軍家の家督を継ぎ、15歳にして征夷大将軍の座につきました。図らずも若くして権力の頂点を極めた義政公は、権謀術数がうごめく政治の世界から退き、隠栖生活を過ごすべく山荘造営を発案しました。その山荘が、ここにいう東山殿です。
義政公はその生涯を東山殿の造営に託しました。8年の歳月を費やし、自らの美意識のすべてを投影。東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げたのです。美の求道者ともいえる義政公の精神のドラマを500年をへた現代にも脈々と伝えています。
銀閣寺
なぜか、1階部分がスカスカだった。
修復中らしい。(バッドタイミング)
散策道にて
蝮が出るらしい、でもそういわれても・・・・・
で、久々にあった娘は・・・・それは内緒w